
Profile — 賛同シェフ
坂井 宏行
Hiroyuki Sakai
- 「ラ・ロシェル」オーナーシェフ
- 『料理の鉄人』フレンチの鉄人
- 厚生労働省「現代の名工」
86戦70勝。最強の鉄人は、いまも厨房に立つ。
3歳で父を失い、家族のために台所に立った少年は、やがて「最強の鉄人」と呼ばれる料理人になった。『料理の鉄人』全鉄人で最多の70勝。日本のフランス料理を、テレビの向こうの家庭にまで届けた人。
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70勝
『料理の鉄人』86戦で挙げた、全鉄人で最多の勝利数
1980
38歳、南青山に「ラ・ロシェル」を開く
68年
16歳で故郷を出てから、料理とともに歩んだ歳月
業界の評価
最強の鉄人
物語
01
台所に立った少年
1942年4月、当時日本の統治下にあった朝鮮半島で、三人きょうだいの長男として生まれる。3歳のとき、父が戦死。終戦とともに、母の実家がある鹿児島県出水市へ引き揚げた。
中学生になると、働く母と姉に代わって台所に立つようになる。「料理を作る仕事なら、どこに行っても食べ物がついて回る」。早く手に職をつけたい一心で高校を中退し、16歳で故郷をあとにした。
02
大阪から、海の向こうへ
大阪の仕出し弁当店で働きながら、夜は調理師学校に通う。17歳でホテル新大阪の厨房に入り、フランス料理と出会った。
19歳、単身オーストラリア・パースへ渡り、ホテルの厨房で腕を磨く。1963年に帰国すると、銀座「四季」で日本のフランス料理の草分けのもと、3年間の修業を積んだ。
03
フランス風懐石という発明
「ココパームス青山」「ジョン・カナヤ麻布」で料理長を務め、1980年、38歳で南青山に「ラ・ロシェル」を開く。
濃厚な味付けを控え、日本の旬の素材を生かす。フランス料理の技法で季節を組み立てる「フランス風懐石」は、日本のフランス料理にひとつの新しい形を示した。
04
最強の鉄人
1994年2月27日、初代・石鍋裕シェフのあとを継ぎ、『料理の鉄人』二代目フレンチの鉄人に就任。5年7か月、86回の対決を戦い、70勝15敗1分。全鉄人のなかで最多の勝利数を挙げ、「最強の鉄人」と呼ばれた。
解説席から「ムッシュはこれをきっと蒸すな」という声が聞こえると、あえて焼いてみせた——のちに本人が笑って明かした逸話である。読まれた手は使わない。その遊び心と気迫が、何百万もの家庭をテレビの前に釘づけにした。
2009年、厚生労働省の「現代の名工」に。2021年には文化庁長官表彰を受けた。80代のいまも週に2回ジムへ通い、「何かあったときに、チャンスを逃さない体でいないと」と語る。生涯現役の料理人である。
年譜
- 1942朝鮮半島に生まれる(当時日本統治下)
- 1945父が戦死。終戦とともに鹿児島県出水市へ
- 195816歳で故郷を離れ、大阪へ
- 1959ホテル新大阪でフランス料理の道へ
- 1961単身オーストラリア・パースへ渡り修業
- 1963帰国、銀座「四季」で修業
- 1980南青山に「ラ・ロシェル」を開店
- 1994『料理の鉄人』二代目フレンチの鉄人に就任
- 19995年7か月、通算86戦70勝15敗1分。全鉄人で最多勝利
- 2009厚生労働省「現代の名工」に選定
- 2021文化庁長官表彰
- 2026Maison de Santé に賛同シェフとして参画
Maison de Santé で
家族のために台所に立った少年が、病の食卓へ。
幼いころ、母と姉に代わって家族の食事をつくった少年は、やがて日本中の家庭にフランス料理の楽しさを届けた。世代を超えて敬愛されるそのレジェンドが Maison de Santé の理念に賛同し、「最期まで、おいしく」という挑戦に、68年の経験と情熱を重ねる。
ともに卓を囲む人

